
六月六日頃は、二十四節気でいう、『芒種(ぼうしゅ)』の頃です。
『芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也』と、暦便覧にはあり、
芒種とは、麦や稲といった芒のある穀物を植えつける時期を意味し、
本格的な雨の季節到来に、
ひとびとは様々な思いを抱きます。
入梅というのは、6月11日前後。
度々雨が降り湿気が増え、
日照時間が減り、必然的に洗濯物を外に干すことも難しい…
といった日が増えますね。
カビやらなにやらの悩みが増えるこの梅雨の季節を、
嫌う人は多いです。
けれども梅雨は、古来より日本人が向き合ってきた、
自然が多彩な表情を見せてくれる、雨の季節でもあります。
梅雨の長雨は、大気の中のチリを綺麗にし、空気を浄化させる役目を担い、
燕は色あせ盛りの過ぎた紫陽花を見て、
南国に帰る時期が差し掛かっていることを知ります。
『雨見時(あまみどき)』
これは、梅雨の別名です。
ただ、梅雨、というより、
先人たちの雨に向ける優しいまなざし、感謝、その風情を楽しむ余裕のようなものが伝わってきます。
祖先らの長く降る雨の季節に向けるものが、
嫌悪ばかりではないと感じますね。
それもそのはず、雨は、まさに恵みの雨でした。
これがないと多くの栄養を草木はとれずに、
稲も様々な植物も、林も森も潤うことはなく、
この先に待つ苛烈な季節である、夏に備えることができません。
雨は、命の水。人が、虫が、動物が、植物が、水がなくては生きていけないこと、
昔生きた人々は、痛切に感じてきたことでしょう。
現代のように蛇口をひねれば水が出るわけではなく、
貯水などもできない、
昔の人々は、
万一空梅雨のようなことにでもなれば、とても…大変なことになりました。
豊かな恵みの雨への感謝は、深いものであったのでしょう。
日本には多くの雨や水に纏わる美しい言葉が存在しており、
使われることは減ったけれど、多くのそれらの言葉が残りました。
その言葉を口にした人々と、
言葉が残ったわけを想像すると、
少々じめじめとしてうっとうしい季節である、この梅雨の時期も、
少し違った風景に思えてきます。
本格的な夏の到来を前に姿を現す、
儚く綺麗な、生き物の紹介を。
『蛍/火垂る/星垂る(ほたる)』
火垂るといったのは、貝原益軒という、江戸時代の儒学者でした。
星垂るが語源という説もあります。
夜空の星々が降ってきて、光っている…
そういうイメージから、でしょうか。
蛍の光は熱を持たない冷光。
日本列島を真夏の激しい暑さが包むころには、
その儚い生き物たちは、そっと姿を消しています。
蛍は綺麗な水がある所、
餌が豊富で、
暗く静かな環境であること、など、
生息する条件があり、
その姿を見られる場所は数を減らしています。
私も数匹くらいしか実は見たことがなくて、
子供がもう少し大きくなったら、
蛍の群れが見られるという、
地元のあるスポットに向かってみようと思っています。
蛍が行き交い舞い踊るかのような光景は、
一度は見てみたい!
と切望してしまいますね😊。
小さな子供たちにも見せてあげたい、
後世に残したい光景のひとつですね。
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ありがとうございました!
Anthony JarrinによるPixabayからの画像
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